yoga & meditation life

ヨガと瞑想で幸せな人をしたい。RYT200が直近の目標。

今年は山形と島根に行きたい

お題「行きたい場所」

 

2019年、

行きたい場所が色々ありすぎて大変。

 

行きたい場所もそうだし、

やりたいことも盛りだくさん。

 

・Disney Sea

・山形

・島根ー出雲

・香川

・山梨

・宮崎ー高千穂

・沖縄

・京都

 

ざっくり。

 

実際に行く行かないは別として

今ピックアップしたところには

是が非でも行きたいなあって。

 

ディズニーだけ毛色が違いますがw

 

ディズニーはこれまでにも

何度も行ってはいるけど、

誕生日ディズニーは今まで一度も

行ったことがないので、

 

来月、初誕生日ディズニー行ってきます!

 

めちゃくちゃ楽しみなんです。

 

バースデーステッカー貼るの

めちゃくちゃ楽しみですw

 

キャストさんに気付いてもらえたら

お祝いの言葉かけてもらえるんでwww

 

その他の日本国内は、

よく行っていた県もあれば、

行ったことがないところも。

 

ただ仕事の都合上、

旅行に行くにしても、

年に2回が限度な気がするので

取り敢えず今年は

山形と島根あたりに

行けたらいいなあ。

 

 

 

過去の自分は他人

昨日、今付き合っている彼氏と

色々あったよねーって

連絡を取り始めた頃のLINEを

遡って談笑していたんだけど、

 

まだ知り合いたてというか

頻繁に連絡を取るようになった時には

当時起きていたことが

のちのち笑い話にまで

昇華できるなんて

想像できないくらいに

私は辛い日々を送っていたのです笑

 

で、今の彼はずーっと

私の相談にのってくれていたんだけど

改めて彼に送った私のLINEを読んでみると

信じられないというか

いや、信じられるんですけど

 

「何を言ってるんだ、やめれwwww」

 

って直視出来ないというか

 

「もういい(見てられない)www」

 

って感じで。笑

 

詳しくは書きませんが

盲目というか盲信というか、

洗脳といえるほどマインドを

固定されてしまった人間には

見えるものも見えないもんだなぁと

しみじみ思った次第で。

 

それと同時に

同じ自分であっても過去の自分は

別人で他人だなって思いました。

 

経験を積んで経験値が上がっている

現時点の自分は、もちろん過去の自分が

物事を経験したからこそ

存在していますが、だからといって

同一ではないと思うんです。

 

経験値が上がっている

というのもありますが

過去に対して未来である現在から

過去の自分を見てみると、

俯瞰できるんですよね。

 

山を下から登って、

後ろを見て自分が進んできた道が

どんなものだったかって分かるような、

そんな感じで。

 

起きている事象は、渦中にいたら

どんなに客観的に、俯瞰的に見ようとしても

全体像は捉えられません。

 

現在が過去になってはじめて、

その時起きていたことが何であったのか

ということが理解できるんですが、

 

過去の自分が何を考えて

その行動をしていたのか

というところは、

当時の自分にとって未来の自分である

現時点での自分には理解できないと思います。

 

記憶を遡って、

こんなこと考えてたな、とか

そういうことを思い出すことはできますが

よくよく考えてみて

何故そんなことをしていたのかって

理解に苦しむところって少なからずあるはず。

 

理解できないから否定する

必要はないですし

当時にはそれがベストな

状態であったわけなので、

特にそこはジャッジすることはできません。

 

ただ、確実に別人で他人。

 

そう思うんです。

 

山の例えをまた引っ張ってきますが、

スタート地点より高いところに来て、

後ろを振り返ってみて

記憶の残像として存在する自分は他人。

 

もちろん、

過去の自分あっての今の自分ですが

それは同一人物ではないと感じました。

 

 

…伝わりますかね笑

 

 

自分でも何を書いているのか

把握しきれませんが←、

取り敢えず思ったことは

 

過去の自分は、

自分であったとしても他人である

 

ということ。

 

きっと今、現時点の私が

過去の自分にアドバイスなり

何なり言葉をかけても、

過去の自分には伝わらないと思う。

 

それが他人であるといえる

所以かもしれません。

自信=自分に正直でいられること

自信ってどこから

湧いてくるんでしょう。

 

そもそも、

自信って何なんだろう?

 

【自信】 

自分で自分の能力や

価値などを信じること。

自分の考え方や行動が

正しいと信じて疑わないこと。

引用; 広辞苑

 

 自らを信じる、って

書いて自信ですもんね。

 

英語だと、"sefl-confidence"

"confidence"は「信頼」という意味。

 

類義語を調べると"self-esteem"

 "self-esteem"は「自尊心」。

 

 英語でも、

自信=自分を信じるってことですね。

 

ただ興味深いのが類義語に

"self-esteem" / 自尊心

というのがあるということ。

 

自分を尊敬する心。

 

f:id:yuCha:20190118155918j:plain

 

深い!!!!!!

 

ということは、自信っていうのは

自分を信じながら尊敬できて

はじめて成り立つものなのでは

ないでしょうか。

 

自信って、そもそも

他人と比較して

得られるものではないと思います。

 

比較したところで、

満たされない。

 

もっともっとって

貪欲になる一方。

 

じゃあどうしたら

自信ってつくんだろうか。

 

自信はきっと、

自分自身に

後ろめたいことがない時に

得られるものだと思います。

 

つまり、

自分に嘘をついていない時。

自分に正直でいられている時。

 

どんなときかっていうと、

本当に自分がやりたいことに

取り組めているときだと

思うんですよね。

 

自分の内側から沸き起こった

「やりたい!!!」ってことを

やっているときって、

すごくバイタリティー

溢れていると思うんですが、

なんか訳も分からず

ワクワクして、

しかもめちゃくちゃ

ポジティブになって、

いつもより人とコミュニケーションが

円滑にいったりとかしませんか?

 

それって自分に"自信"が

ある状態だからではないでしょうか。

 

自信があると、

なんでも前向きに捉えられて

積極的になれますよね。

 

それは自分が本当にやりたいと

欲していることに正直になって

やっているからだと思うんです。

 

これがもし、

やりたいと思っていながら、

やれない、やらない理由を

並べ立てて諦めていたり、

 

もしくは、

自発的にやりたいと

思ったのではなく、

周りがそうしているから、と

違和感を感じながらも

何かを無理矢理やっていたりする場合、

 

自分に嘘をついているということで

後ろめたさがでてきます。

 

その結果、自分に自信が持てない。

 

そして自分を尊敬することもできない。

 

嫌なことをNOと言えない自分が

ふがいなくて、嫌になって

自信どころか嫌悪感を

抱いてしまったり。

 

結局、

自信は自分の中にしかありません。

 

自分が自分に誇れることを

しているかどうか。

 

周りに流されて

自分の意に反したことを

していないかどうか。

 

それに尽きると思います。

 

自信をつけたいなら、

まずは自分のこころと向き合うこと。

 

そして自分が

本当は何を望んでいるのか、

ちゃんと理解すること。

 

自分のこころの声が聞こえたら、

あとはそれを行動に移すこと。

 

からだが動けば、こころも動きます。

 

そしてやりたいことを

やれている自分が好きになって、

周りと比較することもなく

自然と自信が湧いてきます。

 

自信って、

自分に正直になることでは

ないでしょうか。

 

 

f:id:yuCha:20190118160429j:plain

 

ネガティブは人間のデフォルト

人間の脳は、

元々ネガティブなことに

焦点が当たるように

できているそうです。

 

つまり、脳自体がネガティブ。

 

そして、ネガティブだから脳は

自分のこれまでの経験をもとに、

これから先に起こり得ることを

"可能性"として予測して

危険があると判断した際には

回避する行動にでる。

 

ありませんか?

 

はじめての体験を目前にして

恐怖でガチガチになった経験。

 

あるいは、

やりたいんだけど、

ああなったらどうしよう、

こうなったらどうしよう、

って色んな可能性を考えて

結局行動に移せなかった経験。

 

もしくは、

色んな可能性を想像して

不安に駆られたものの、

えい!って一歩踏み出してみたら

案外、心配してたことは

ただの杞憂に終わった…

 

などなど。

 

人間って、

未知のことに対しては

とてつもない恐怖感、

不安感を抱きます。

 

それってもうDNAに

組み込まれたものなんですよね。

 

まだ人間が人間になる前の時点で、

猛獣たちに襲われることなく

進化をするためには、

危険回避のためにネガティブである

必要があったんです。

 

そうして進化して、人間となり

今の私たちがいるわけなので、

もうネガティブがデフォルト。

 

既にDNAに人類の"記憶"として

ネガティブ思考が

組み込まれちゃってるんですね。

 

よくよく考えてみてください。

 

これまであなたが新しいことを

始めようとしたときに抱いた不安って

大体が過去にあんなことがあったな~って

"記憶"がソースだったりしませんか?

 

その"記憶"は

自分が経験したこと、

または、

自分は実際に経験してはいないけど、

誰かが似たような経験を

していたという情報です。

 

その"記憶"を駆使して

私たちの脳は未知のものによって

自分が傷つかないように

規制をかけようと不安や恐怖といった

感情を私たちが抱くように

仕向けています。

 

だからと言って、

「脳のデフォルトモードが

ネガティブなら打つ手ないじゃん」

って諦めなくて大丈夫です。

 

実は、新しい試みを目の前にして

やりたい気持ちがありながら

恐怖や不安感があるとしたら、

それは成長のチャンスなのです。

 

知っていることを

繰り返し続けていても、

平行線ですよね。

 

現状維持です。

 

それは維持しているように見えて

実は退化しているんです。

 

だから変化が必要なのですが、

人間はどうも安定を好む

生き物のようなので、

変化となる未知の存在には

強烈な拒絶反応を示します。

 

それが自分のステップアップ、

成長のためのチャンスです。

 

恐怖や不安を感じれば感じるほど、

それは未知の経験で

自分が成長できるチャンスだと

考えられます。

 

恐怖や不安を圧して

実際に取り組み始めると

それまでのネガティブな感情が

嘘のように忘れてしまうんです。

 

あ、なんだこんな感じかーって。

 

だから脳が元々ネガティブであろうと

諦める必要はないのです。

 

f:id:yuCha:20190117144940j:plain

 

また、ネガティブ思考を

緩和させる方法もあるみたいですよ。

 

個人的に「確かにそうだよね」と

納得したのが茂木健一郎さんの

ソリューションフォーカスでした。

 

u-note.me

 

 

確かになんだかんだ

生きてこられましたw

 

DNAには

人類が生き残るために必要だった

ネガティブモードが

組み込まれていますが

現代では生存に関わるほどの危険も

あまりないですよね。

 

なんだかんだ生きてこられたって

自分に理解させることは

かなり有効かもしれません。

 

あとはポジティブなことを

噛みしめ、実感すること。

 

tabi-labo.com

 

脳が生まれつきネガティブだとしても

なんだかんだ生きていられますし、

現実的にはネガティブなことよりも

フラットなことだったり

小さな幸せが多いですよね。

 

人間の脳がそもそも

ネガティブだったとしても、

それが克服できる、

それに極端に

悩まされることがなければ

もっとずっと、

毎日を有意義に過ごせますね。

 

他人が見る自分と自分が見る自分

出社前にジムに行くと決めて

実際に昨日から出社前ジムが

本格スタートしたわけですが、

ふと思ったんです。

 

出社前にわざわざジムで

運動するって、

すごいことなんじゃないかって。

 

自画自賛にはなりますがw、

いや、本当にすごいと思います。

 

自分を褒めてあげるためにも

何度もすごいといいます(笑)

 

で、きっと他人から見たら

"ストイック"って

見えるんじゃないかなって。

 

昔の自分がもし、

大学に行く前や出社前に

ジム行って

レーニングしてるよーって

人を見たら、

 

「すごいねーストイックやんw」

 

って言ってる可能性大。

 

きっとこれから私も

「ストイックだね」って

言われることがあるかもしれません。

 

でも全然"ストイック"にやってる

感覚はないんですよね。

 

 それが"当たり前"というか。

 

好きでやってるから

"ストイック"でもなんでもない。

 

ただ、生れてからずっと肥満児で

ガチで痩せてやる!!!

って思って,

ジムで運動したり

極端に食生活に制限かけてた

留学時代は

"ストイック"そのもの。

 

"ストイック"に攻めた結果、

人生で初めてダイエットに成功して

-20kg弱という成功を収めたけれど、

"制限"をして

自分の心身を縛り付けた結果、

継続性もないし、

"制限"をかけることを辞めた瞬間、

一気にリバウンド。

 

持続性の欠如。

 

ここで思うんですよね。

 

"ストイック"とは

自分に"制限"をかけて

自分に我慢を強いている場合のこと

 

なんじゃないかって。

 

だから、逆に言えば

自分自身に何の我慢も強要せずに

継続可能なことであれば、

たとえ他人が"ストイック"だと

判断したとしても

それは全く

"ストイック"ではないということです。

 

でもすごいことなんですよ。

 

「好きなことだから、

それを行うこと、続けることなんて

全然すごくないよー」

 

って思うかもしれません。

 

ですが、実はすごいんです。

 

続けるって難しい。

 

自分で決めたことでも

それをずーーーっと続けるって難しい。

 

たった数日でも継続するって

難しいことなんです。

 

習慣化してそれが

"当たり前"になるまでも

大変なことで、

 

習慣化して"当たり前"に

継続できたとしてもすごいことなんです。

 

人から「すごいね」って言われたら

否が応でもすごいことだと実感できますw

 

そこでわざわざ謙虚になって

「そんなことないよー」なんて

言わないで上げてください。

 

自分が可哀想です。

 

むしろそれは

 

謙遜とかではなく、

ただの卑下です。

 

 自分のことを「すごい」って

認めてあげていいんです。

 

よくやってるなーって。

 

私も、本当によくやってるなーって

今朝「すごいすごい」って

言っていたばかりですw

 

でも「ストイックだね」って

言われたら、

「そんなことないよ」

って、そこは認めません。

 

今の私は自分に対して

なんの制限もかけていないし、

我慢もしていないので。

 

食には確かに気を遣ってはいますが、

「あれは食べちゃダメ」

「これは食べちゃダメ」

という制限はかけていません。

 

以前は「ダメ、ダメ」と

制限をかけていましたが、

その結果、

ダイエットに成功しても心は満たされず、

摂食障害を発症してしまったので。

 

今は食べたいと思ったときに

食べたいものを食べます。

 

そして不思議なことに

少量で済むんですよねw

 

これって心が満たされているから

としか言いようがないです、

現時点では。

 

ちょっと話が逸れましたが

今回の記事で何が

言いたかったかっていうと、

 

人が判断する自分と

自分が判断する自分は

異なってますよねー、

気にしても

しょうがないですよねw

ってことです。

 

あとは自分のことを

少しでもすごいって褒められる人が

増えてくれたらいいなって思います。

 

 

"想像できないことを実現することができない"を逆手にとればいい

"想像できないことを

実現することができない"

 

というのなら、

それを逆手に取ればいい。

 

"想像できることなら

たとえ夢物語のように

見えたとしても

それは実現できる"

 

大体の場合において、

想像できるのに

実現できないままに

終わってしまうのは

 

「自分にはムリ」

「自分なんか…」

 

と、自分を卑下したり

諦めたりしているから。

 

もしくは夢を描きながら

それを実現するまでの行程を

考えることを面倒だと思って

放棄しているか。

 

そもそも夢を描きながら

実現に至るまでの行程を

考えたらり実行することに

わくわくしないのなら

その夢は自分にとって

"正解"ではないのかも。

 

 

yuchayutcha.hatenablog.jp

 

 よく、願望実現する話になると、

引き寄せの法則とか、

叶ったときの自分に

波長を合わせる、とか

そんな話が出てきますよね。

 

全部間違っていないと思います。

 

ただ伝え方がちょっとなあ…

ってものもあることは

確かですがw

 

けど、どれも伝え方は

異なっていても

本質って一緒な気がします。

 

できる、と自分を信じること。

 

やる、と決めて

できる、と信じること。

 

f:id:yuCha:20190115172716j:plain

 

 「自分なんて…」とか

卑下しない。諦めない。

 

自分は自分。

 

この世に自分以外の自分はいません。

 

人生なんて短い。

 

思ったよりきっと短い。

 

この意識でこの身体で、

「私」として、この時代に

また生まれることはできない。

 

まさに一期一会。

 

だったら描いた夢を実現できると

自信をもって取り組んだ方が

絶対に楽しい。

 

諦めはもったいない。

 

想像できることは実現できるんです。

 

ただ想像していない方法で

実現できる場合があるかもしれません。

 

人は一人じゃなにもなしえない。

 

誰かがいて、自分がいて、

そういう相互作用で

ただの想像でしかなかったものが

創造されるんだと思います。

 

 

……

 

………

 

ダジャレ言いましたよ?

 

 

冗談も盛り込みましたがw、

想像できたなら、

実現できる可能性は

かなり高いです。

 

諦めずに、

好きなことを精一杯。

 

わくわくすることを

精一杯。

向き不向き。

自分に何が合っていて、

何が合わないのか。

 

これを追究することって

多分、生きていく上で一番大事。

 

f:id:yuCha:20190115135736j:plain

 

社会の流行だとか、

有名人の間で人気、だとか

メディアが取り上げているものだとか。

 

そういったものが果たして

全部が全部、

万人に共通するかというと

そうではないですよね。

 

人は誰でも、

テレビで、雑誌で、ネットで

広く取り上げられているからって

全部が全部いいものだとは

信じてはいない。

 

それでも何故か知らない間に

社会の波に飲み込まれて、

本当は自分に合わないものを

取り入れてしまったりする。

 

その結果、

あーでもない、こーでもないって

迷路に迷い込んでしまう。

 

女性なんか得に

この傾向にあると思います。

 

男性ももちろんそうなんですが、

女性の方がより、

"美"というものに敏感で、

追求したい生き物。

 

だから、〇〇ダイエットとか、

流行のダイエット法に

食らいついてみては

一時の成功と失敗を繰り返す。

 

ほんの一例ですが、

自分に合う合わないを

じっくり考える前に

目先の結果だけを

追い求めてしまうから、

 

知らず知らずのうちに

社会の波に飲み込まれ、

本当の自分が求めるもの、

 

つまり、

 

自分の心を真の意味で満たしてくれる

自分に合ったもの、相性のいいものが

どんどん分からなくなっていく。

 

迷路に迷い込んでしまうから、

迷路の中をさまよっているうちに

どんどん自分のこころと身体が

傷ついていくのです。

 

じゃあ、自分に合ったものって

どうやって見つけるのかっていうと、

トライ&エラーしかないんですよね。

 

結局、

自分に合うものを見つけるためには

自分に合わないものを一回取り込んで

「あ~ちょっと違うな」って

自覚するしかないんです。

 

矛盾しているように

聞こえるかもしれません。

 

でも、自分に合っているか

どうかなんていうものは、

自分にとっての"不正解"を

知らなければ

見つけられないんです。

 

ただ、自分の"正解"を見つけるために

ずっと長いこと"不正解"を

実践したり、選び続けてはいけない。

 

自分の身も心も

ツラくなってしまいます。

 

自分にとって何が

"正解"で"不正解"なのか。

 

それを理解するヒントは

 

"わくわくするかどうか"

 

"それを実践したときに

スッキリと満たされた感覚を

得られるかどうか"

 

だと思うのです。

 

f:id:yuCha:20190115135804j:plain

 

あとは、

 

"今あるもの"で

十分だと感じられるかどうか。

 

昨日の記事でも書きましたが、

こころが満たされていると

物質的に何かが欠落していたとしても

そこに注意は向きません。

 

 

yuchayutcha.hatenablog.jp

 

 自分に合っていること、

自分に向いていることをしていれば

こころは満たされます。

 

こころが満たされていると

漠然とした欠乏感を感じて

衝動買いをしたり、

無駄な足し算をすることがなくなります。

 

もしこのブログを

読んでくださっている

あなたが今、

 

「ああしなきゃ」

「こうしなきゃ」

 

と、自分に足りていないものを

補おうとしていたり

ちょっとでも強迫観念を

抱いているようであれば

ちょっと立ち止まってみてください。

 

本当に足りませんか?

 

こう聞かれても、

足りないよーって

思っちゃうかもしれませんが、

それでも構いません。

 

大丈夫です。

 

ただ、自分が

何かを追い求めていることに

わくわくしているかどうか、

ちょっと自分自身に

聞いてみてあげてください。

 

むしろ、"追い求める"こと自体、

違うのかもしれません。

 

自分に合っていること、

向いていることであれば、

追い求めようとせずとも

呼吸をするのと同じように、

勝手に体が動くはずです。

 

向き不向き。

 

自分がムリをしていないかどうか、

ほんの少しずつでもいいので

感じてみてください。