yoga & meditation life

ヨガと瞑想で幸せな人をしたい。RYT200が直近の目標。

過去の自分は他人

昨日、今付き合っている彼氏と

色々あったよねーって

連絡を取り始めた頃のLINEを

遡って談笑していたんだけど、

 

まだ知り合いたてというか

頻繁に連絡を取るようになった時には

当時起きていたことが

のちのち笑い話にまで

昇華できるなんて

想像できないくらいに

私は辛い日々を送っていたのです笑

 

で、今の彼はずーっと

私の相談にのってくれていたんだけど

改めて彼に送った私のLINEを読んでみると

信じられないというか

いや、信じられるんですけど

 

「何を言ってるんだ、やめれwwww」

 

って直視出来ないというか

 

「もういい(見てられない)www」

 

って感じで。笑

 

詳しくは書きませんが

盲目というか盲信というか、

洗脳といえるほどマインドを

固定されてしまった人間には

見えるものも見えないもんだなぁと

しみじみ思った次第で。

 

それと同時に

同じ自分であっても過去の自分は

別人で他人だなって思いました。

 

経験を積んで経験値が上がっている

現時点の自分は、もちろん過去の自分が

物事を経験したからこそ

存在していますが、だからといって

同一ではないと思うんです。

 

経験値が上がっている

というのもありますが

過去に対して未来である現在から

過去の自分を見てみると、

俯瞰できるんですよね。

 

山を下から登って、

後ろを見て自分が進んできた道が

どんなものだったかって分かるような、

そんな感じで。

 

起きている事象は、渦中にいたら

どんなに客観的に、俯瞰的に見ようとしても

全体像は捉えられません。

 

現在が過去になってはじめて、

その時起きていたことが何であったのか

ということが理解できるんですが、

 

過去の自分が何を考えて

その行動をしていたのか

というところは、

当時の自分にとって未来の自分である

現時点での自分には理解できないと思います。

 

記憶を遡って、

こんなこと考えてたな、とか

そういうことを思い出すことはできますが

よくよく考えてみて

何故そんなことをしていたのかって

理解に苦しむところって少なからずあるはず。

 

理解できないから否定する

必要はないですし

当時にはそれがベストな

状態であったわけなので、

特にそこはジャッジすることはできません。

 

ただ、確実に別人で他人。

 

そう思うんです。

 

山の例えをまた引っ張ってきますが、

スタート地点より高いところに来て、

後ろを振り返ってみて

記憶の残像として存在する自分は他人。

 

もちろん、

過去の自分あっての今の自分ですが

それは同一人物ではないと感じました。

 

 

…伝わりますかね笑

 

 

自分でも何を書いているのか

把握しきれませんが←、

取り敢えず思ったことは

 

過去の自分は、

自分であったとしても他人である

 

ということ。

 

きっと今、現時点の私が

過去の自分にアドバイスなり

何なり言葉をかけても、

過去の自分には伝わらないと思う。

 

それが他人であるといえる

所以かもしれません。