yoga & meditation life

ヨガと瞑想で幸せな人をしたい。RYT200が直近の目標。

ヘルプマーク

最近、ようやく目にすることが

多くなってきたヘルプマークを

ご存知ですか?

 

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見た目は健康そうな人でも

実は助けを必要としている人が

持っているSOSのサインです。

 

見た目が可愛くて

どこかのブランドのロゴかと

思いがちですが、

マタニティマーク同様、

助けを必要としている方の目印です。

 

私の知人が線維筋痛症という

筋肉や関節などのこわばりや痛みを

患っている方がいて、

ヘルプマークをもっていますが、

ヘルプマークの認知度が

低いということを常々話しています。

 

確かに見た目が普通であれば

健康そのものと判断されて

助けが必要だとは判断しづらいですよね。

 

ただ、見た目だけでは

判断できない病気や症状を

抱えている方も多数いることは事実です。

 

ヘルプマークは

難病や内部障害だけでなく、

義足などをつけている方にも

利用されているとのこと。

 

www.fukushihoken.metro.tokyo.jp

 

改めて調べてみると

知らないことばかりで、

街中でヘルプマークを見かけても

「あ、ヘルプマークだ」と

思うだけで終わってしまいがちです。

 

またヘルプマークは

それぞれの自治体でもらえるそうですが、

障碍者手帳などの証明書や

特別な書類が必要ないそうです。

 

ゆえに悪用もあるとのことで

ヘルプマークの認知度が上がっても

さらに本当に助けが必要な人なのか、

それとも悪用しているだけなのかという

見極めも必要になってきますよね。

 

そういった問題点は

徐々に改善されていくとは思いますが、

優先席を譲るか譲らないか、

譲っても「結構です」って

断られたらどうしよう、

と考えてしまう心理と同様に、

 

ヘルプマークを見かけても

実際に声をかけていいのかどうか、と

躊躇してしまうことも

あるような気がします。

 

そんな時は、その人の存在をまずは

気にかけてあげることから

始めてみてはどうでしょうか。

 

ヘルプマークを持っている方は

緊急事態など、イレギュラーなことが

起きた時にとっさに

行動することができないそうです。

 

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東京都福祉保健局がHPで

伝えているように、

臨機応変に対応することが必要な

交通機関が乱れたときや災害時に

率先して声をかけるように

心がけておくことが大事だと思います。

 

まずは緊急時にいつでも

サポートしてあげられるように、と

心がけておくだけでも

「結構です、大丈夫です」って

返事が来るんじゃないかって

不安になることも

少なくなるのではないでしょうか。

 

ヘルプマークを見かけたら

心配りをしていきましょう。

 

「無知は罪」言葉は強いけど、知るって大事

毎日、毎週、仕事をしていると

わりと暇な瞬間が多いので

こうしてブログを

書いたりしているんですが(笑)

 

同時に気になったことを

調べたりして

知識を増やせる時間だなって

思うんです。

 

人は趣味や娯楽の領域であれば

いくらでも自主的に

情報を収集しますよね。

 

でもちょっと難しそうな

政治の話だとか、社会情勢とか

それこそ気になっちゃいるけど

専門用語が難しいからって

避けがちな科学的な話とかって

大事だと思いつつ、

 

「まあいっか」

 

って無知であることを

選択する傾向が強い気がします。

 

別に

政治に関心を持ちましょうとか

そういう意識高い系の話を

したいのではなくw

 

単純に気になったら

調べればいいんじゃないかなって

思うんですよね。

 

大抵の人って、

好きなことは全然調べて意欲的に

知識を取り込むのに、

 

大事なんだろうけど

なんかなあ…っていう

漠然とした必要性と、

見るからに理解しづらそうなことに

関しては苦手意識をもって

距離を取りたがろうとする。

 

この違いってきっと、

 

分からないことが分からない

 

ということに原因が

あるんじゃないのかなって思うのです。

 

分からないことが

何なのか分からないから、

分からないことは

分かっているんだけど、

何をどう調べたらいいのか分からない。

 

だから後回しにした結果、

無知であることに繋がる。

 

情報社会の中で

無知って結構痛いです。

 

一番わかりやすい例だから

結局たとえで出してしまうんですが、

政治なんて最たるものですよね。

 

ニュースで取り上げられている政策が

どんなに素晴らしいと

謳われていようとも

一国民で、下々の我々には

なかなか恩恵を感じられなかったり、

だからといって

選挙に行ったところで

多勢に無勢でしょ、とか

政治家はみんな一緒、

みたいな印象が強くて

知識を身につけて自分なりに

考えは持った方がいいとは思いつつ、

よくわからないから

よくわからないままにするっていう(笑)

 

政治の話で意識高い系に

なりたくないのでw、

科学的な分野の例を出しますねw

 

例えば天体関係とか。

 

月の満ち欠けによって人体にも

影響が出るっていいますよね。

 

不思議ですよね。

 

しかもスピリチュアル好きな人たちは

なんかスピ系の話で

盛り上がりますよね(笑)

 

私のスタンスとしては

スピリチュアル好きでしたし

今でも好きですが、

そういうのは全部

科学的な理由がちゃんとあると

思っています。

 

でもその科学的な理由が

はっきりとわかっていないから、

スピ系のふんわり、ぼんやりした内容で

共通認識を確認しているように

感じるんです。

 

そこをはっきりさせたかったら

知識を蓄えるしかないんですよね。

 

で、問題なのがどこから

手を付けるかということ。

 

天文学なんてめちゃくちゃ歴史も長くて

色んな星もあるし、難しそうだし

意味わからないですよねw

 

分からないことが分からないから

なかなか手を出しにくいですが

 

別にどこからスタートしたら

いいのかとかこだわらず、

気になったところから調べる。

 

これに尽きると思います。

 

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分からないことが分からない状態で

知識を得る順番にこだわるから

結局訳が分からなくなって

無知でいることを

選択するのではないでしょうか。

 

どこから手を付けても

同じな気がします。

 

一つ分かればまた一つ、

分からないことを発見して、

それを調べるうちに

また新しいことを発見して…

っていう繰り返しですよね。

 

結局切り口がどこであろうと

最終的には繋がるものです。

 

最初って

今更聞けないよなあってことでも

いいと思うんですよね、

調べるのって。

 

無知なまま、

流されていくより全然いい。

 

取り敢えず気になったことを

調べて知識としましょう。

 

ジャンルなんて

全然関係なくていいんです。

 

今日気になったジャンルと

明日気になるジャンルが

全然違ってたっていいんです。

 

大切なのは

無知を良しとしないこと。

 

気になっているけど

難しそうだからと諦めないこと。

 

今更聞けないようなことでも

分からなければ調べてみましょう。

 

調べるくらいなら

誰にもバレませんから(笑)

 

ちなみに私は副業で

リライト作業をしていますが、

皇室関係の話が多いので

皇室に興味を持ちましたし、

そこから政治にも

興味が湧いてきたので

図書館で読みやすそうで、

気になったタイトルのものを

読み漁ったりしていますw

 

別に単位がかかってるわけでもなし、

プレゼンをしなければ

ならないわけでもなし。

 

全て興味・関心、

もっと言ってしまえば

趣味になっちゃうと思うんです。

 

ちょっと気になったから~って

深く考えずにテキト―に調べて

知識が増えるとしたら、

それってめちゃくちゃお得ですよね(笑)

素直になるコツ

ちょっとした意見の相違だとか、

たまたま腹の虫の居所が悪くて

普段であればなんてことないことで

口論になったりして、

ちょっと気まずくなってしまったり。

 

「ごめんね」

 

ってたった一言が

なかなか言い出しづらくて

拗ねてしまったり、

もんもんとした時間が

長くなってしまったり。

 

気心知れた間柄であればあるほど、

「わかってよ」

って気持ちが大きくなって

ワガママだと分かっていても

子供じみていると思っても

素直になれないことって

ありますよね(笑)

 

そんな時こそ、

「過去の自分は他人」っていうことを

感じてみたらいいんじゃないかな。

 

 

yuchayutcha.hatenablog.jp

 

過去の自分って、

考え方が今とは異なっていた自分、として

数ヶ月前の自分だと考えがちな気がします。

 

でも、数か月前の自分だけでなくても

1日前、数時間前、数分前の自分も

十分、過去の自分。

 

であれば、たった少し前の自分も

また他人なのではないでしょうか。

 

人って、継続してしまう生き物。

 

悪習慣であっても、

ずるずると継続してしまうほど。

 

これって1日単位、

数時間単位、分単位でも

言えるんじゃないかと思いました。

 

たとえば冒頭にあげた例で

考えてみましょう。

 

たまたますれ違ってしまった意見。

そして感情的になって口論になった。

 

謝った上で話し合えば

気まずい雰囲気なんて

すぐに解消できる場合でも、

感情を逆なでされた瞬間の

記憶を保持したまま

今この瞬間も生きてしまって、

意地をはった状態を維持している。

 

 過去の自分(他人)を

そのまま引き継いで

継続してしまっているんです。

 

でも、過去の自分は他人。

 

今この瞬間を生きている自分とは

全くの別人だと考えてみたら

どうでしょう。

 

他人と同じでいる必要、ありますか?

 

過去の自分である他人は

意見の食い違いやちょっとしたことで

口論になり、感情も荒立っていて

たった一言の「ごめんね」が

言えなかったかもしれません。

 

でも今この瞬間のあなたはどうですか?

 

選択肢はあります。

 

このまま過去の他人の行動を

なぞることも、

 

新しい自分、

過去の自分とは別人の自分として

誰かとの関係を

修復することもできます。

 

言い合いになってしまったことは、

起きてしまった事実です。

 

でも、それをずっと

継続する必要もないですよね。

 

ただ決めるんです。

 

過去の自分(他人)を踏襲するのか

それとも新しい別人として

今この瞬間の自分がベターだと思う

選択肢を実行するのか。

 

決めてしまえば、

意地になって言えなかった

「ごめんね」も言えるはずです。

 

決めてしまえばやる気が出る

カニズムに似ているかもしれません。

 

 

yuchayutcha.hatenablog.jp

 

些細なことで

ちょっとした口論になって

意地をはってしまうことは

よくありますよね。

 

そのあと素直になれなくて

もんもんとしてしまうことも

多々あります。

 

そんな時こそ、

素直になって

スッキリしたいのであれば、

過去の自分は今の自分とは

違うということを感じてみてください。

今年は山形と島根に行きたい

お題「行きたい場所」

 

2019年、

行きたい場所が色々ありすぎて大変。

 

行きたい場所もそうだし、

やりたいことも盛りだくさん。

 

・Disney Sea

・山形

・島根ー出雲

・香川

・山梨

・宮崎ー高千穂

・沖縄

・京都

 

ざっくり。

 

実際に行く行かないは別として

今ピックアップしたところには

是が非でも行きたいなあって。

 

ディズニーだけ毛色が違いますがw

 

ディズニーはこれまでにも

何度も行ってはいるけど、

誕生日ディズニーは今まで一度も

行ったことがないので、

 

来月、初誕生日ディズニー行ってきます!

 

めちゃくちゃ楽しみなんです。

 

バースデーステッカー貼るの

めちゃくちゃ楽しみですw

 

キャストさんに気付いてもらえたら

お祝いの言葉かけてもらえるんでwww

 

その他の日本国内は、

よく行っていた県もあれば、

行ったことがないところも。

 

ただ仕事の都合上、

旅行に行くにしても、

年に2回が限度な気がするので

取り敢えず今年は

山形と島根あたりに

行けたらいいなあ。

 

 

 

過去の自分は他人

昨日、今付き合っている彼氏と

色々あったよねーって

連絡を取り始めた頃のLINEを

遡って談笑していたんだけど、

 

まだ知り合いたてというか

頻繁に連絡を取るようになった時には

当時起きていたことが

のちのち笑い話にまで

昇華できるなんて

想像できないくらいに

私は辛い日々を送っていたのです笑

 

で、今の彼はずーっと

私の相談にのってくれていたんだけど

改めて彼に送った私のLINEを読んでみると

信じられないというか

いや、信じられるんですけど

 

「何を言ってるんだ、やめれwwww」

 

って直視出来ないというか

 

「もういい(見てられない)www」

 

って感じで。笑

 

詳しくは書きませんが

盲目というか盲信というか、

洗脳といえるほどマインドを

固定されてしまった人間には

見えるものも見えないもんだなぁと

しみじみ思った次第で。

 

それと同時に

同じ自分であっても過去の自分は

別人で他人だなって思いました。

 

経験を積んで経験値が上がっている

現時点の自分は、もちろん過去の自分が

物事を経験したからこそ

存在していますが、だからといって

同一ではないと思うんです。

 

経験値が上がっている

というのもありますが

過去に対して未来である現在から

過去の自分を見てみると、

俯瞰できるんですよね。

 

山を下から登って、

後ろを見て自分が進んできた道が

どんなものだったかって分かるような、

そんな感じで。

 

起きている事象は、渦中にいたら

どんなに客観的に、俯瞰的に見ようとしても

全体像は捉えられません。

 

現在が過去になってはじめて、

その時起きていたことが何であったのか

ということが理解できるんですが、

 

過去の自分が何を考えて

その行動をしていたのか

というところは、

当時の自分にとって未来の自分である

現時点での自分には理解できないと思います。

 

記憶を遡って、

こんなこと考えてたな、とか

そういうことを思い出すことはできますが

よくよく考えてみて

何故そんなことをしていたのかって

理解に苦しむところって少なからずあるはず。

 

理解できないから否定する

必要はないですし

当時にはそれがベストな

状態であったわけなので、

特にそこはジャッジすることはできません。

 

ただ、確実に別人で他人。

 

そう思うんです。

 

山の例えをまた引っ張ってきますが、

スタート地点より高いところに来て、

後ろを振り返ってみて

記憶の残像として存在する自分は他人。

 

もちろん、

過去の自分あっての今の自分ですが

それは同一人物ではないと感じました。

 

 

…伝わりますかね笑

 

 

自分でも何を書いているのか

把握しきれませんが←、

取り敢えず思ったことは

 

過去の自分は、

自分であったとしても他人である

 

ということ。

 

きっと今、現時点の私が

過去の自分にアドバイスなり

何なり言葉をかけても、

過去の自分には伝わらないと思う。

 

それが他人であるといえる

所以かもしれません。

自信=自分に正直でいられること

自信ってどこから

湧いてくるんでしょう。

 

そもそも、

自信って何なんだろう?

 

【自信】 

自分で自分の能力や

価値などを信じること。

自分の考え方や行動が

正しいと信じて疑わないこと。

引用; 広辞苑

 

 自らを信じる、って

書いて自信ですもんね。

 

英語だと、"sefl-confidence"

"confidence"は「信頼」という意味。

 

類義語を調べると"self-esteem"

 "self-esteem"は「自尊心」。

 

 英語でも、

自信=自分を信じるってことですね。

 

ただ興味深いのが類義語に

"self-esteem" / 自尊心

というのがあるということ。

 

自分を尊敬する心。

 

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深い!!!!!!

 

ということは、自信っていうのは

自分を信じながら尊敬できて

はじめて成り立つものなのでは

ないでしょうか。

 

自信って、そもそも

他人と比較して

得られるものではないと思います。

 

比較したところで、

満たされない。

 

もっともっとって

貪欲になる一方。

 

じゃあどうしたら

自信ってつくんだろうか。

 

自信はきっと、

自分自身に

後ろめたいことがない時に

得られるものだと思います。

 

つまり、

自分に嘘をついていない時。

自分に正直でいられている時。

 

どんなときかっていうと、

本当に自分がやりたいことに

取り組めているときだと

思うんですよね。

 

自分の内側から沸き起こった

「やりたい!!!」ってことを

やっているときって、

すごくバイタリティー

溢れていると思うんですが、

なんか訳も分からず

ワクワクして、

しかもめちゃくちゃ

ポジティブになって、

いつもより人とコミュニケーションが

円滑にいったりとかしませんか?

 

それって自分に"自信"が

ある状態だからではないでしょうか。

 

自信があると、

なんでも前向きに捉えられて

積極的になれますよね。

 

それは自分が本当にやりたいと

欲していることに正直になって

やっているからだと思うんです。

 

これがもし、

やりたいと思っていながら、

やれない、やらない理由を

並べ立てて諦めていたり、

 

もしくは、

自発的にやりたいと

思ったのではなく、

周りがそうしているから、と

違和感を感じながらも

何かを無理矢理やっていたりする場合、

 

自分に嘘をついているということで

後ろめたさがでてきます。

 

その結果、自分に自信が持てない。

 

そして自分を尊敬することもできない。

 

嫌なことをNOと言えない自分が

ふがいなくて、嫌になって

自信どころか嫌悪感を

抱いてしまったり。

 

結局、

自信は自分の中にしかありません。

 

自分が自分に誇れることを

しているかどうか。

 

周りに流されて

自分の意に反したことを

していないかどうか。

 

それに尽きると思います。

 

自信をつけたいなら、

まずは自分のこころと向き合うこと。

 

そして自分が

本当は何を望んでいるのか、

ちゃんと理解すること。

 

自分のこころの声が聞こえたら、

あとはそれを行動に移すこと。

 

からだが動けば、こころも動きます。

 

そしてやりたいことを

やれている自分が好きになって、

周りと比較することもなく

自然と自信が湧いてきます。

 

自信って、

自分に正直になることでは

ないでしょうか。

 

 

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ネガティブは人間のデフォルト

人間の脳は、

元々ネガティブなことに

焦点が当たるように

できているそうです。

 

つまり、脳自体がネガティブ。

 

そして、ネガティブだから脳は

自分のこれまでの経験をもとに、

これから先に起こり得ることを

"可能性"として予測して

危険があると判断した際には

回避する行動にでる。

 

ありませんか?

 

はじめての体験を目前にして

恐怖でガチガチになった経験。

 

あるいは、

やりたいんだけど、

ああなったらどうしよう、

こうなったらどうしよう、

って色んな可能性を考えて

結局行動に移せなかった経験。

 

もしくは、

色んな可能性を想像して

不安に駆られたものの、

えい!って一歩踏み出してみたら

案外、心配してたことは

ただの杞憂に終わった…

 

などなど。

 

人間って、

未知のことに対しては

とてつもない恐怖感、

不安感を抱きます。

 

それってもうDNAに

組み込まれたものなんですよね。

 

まだ人間が人間になる前の時点で、

猛獣たちに襲われることなく

進化をするためには、

危険回避のためにネガティブである

必要があったんです。

 

そうして進化して、人間となり

今の私たちがいるわけなので、

もうネガティブがデフォルト。

 

既にDNAに人類の"記憶"として

ネガティブ思考が

組み込まれちゃってるんですね。

 

よくよく考えてみてください。

 

これまであなたが新しいことを

始めようとしたときに抱いた不安って

大体が過去にあんなことがあったな~って

"記憶"がソースだったりしませんか?

 

その"記憶"は

自分が経験したこと、

または、

自分は実際に経験してはいないけど、

誰かが似たような経験を

していたという情報です。

 

その"記憶"を駆使して

私たちの脳は未知のものによって

自分が傷つかないように

規制をかけようと不安や恐怖といった

感情を私たちが抱くように

仕向けています。

 

だからと言って、

「脳のデフォルトモードが

ネガティブなら打つ手ないじゃん」

って諦めなくて大丈夫です。

 

実は、新しい試みを目の前にして

やりたい気持ちがありながら

恐怖や不安感があるとしたら、

それは成長のチャンスなのです。

 

知っていることを

繰り返し続けていても、

平行線ですよね。

 

現状維持です。

 

それは維持しているように見えて

実は退化しているんです。

 

だから変化が必要なのですが、

人間はどうも安定を好む

生き物のようなので、

変化となる未知の存在には

強烈な拒絶反応を示します。

 

それが自分のステップアップ、

成長のためのチャンスです。

 

恐怖や不安を感じれば感じるほど、

それは未知の経験で

自分が成長できるチャンスだと

考えられます。

 

恐怖や不安を圧して

実際に取り組み始めると

それまでのネガティブな感情が

嘘のように忘れてしまうんです。

 

あ、なんだこんな感じかーって。

 

だから脳が元々ネガティブであろうと

諦める必要はないのです。

 

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また、ネガティブ思考を

緩和させる方法もあるみたいですよ。

 

個人的に「確かにそうだよね」と

納得したのが茂木健一郎さんの

ソリューションフォーカスでした。

 

u-note.me

 

 

確かになんだかんだ

生きてこられましたw

 

DNAには

人類が生き残るために必要だった

ネガティブモードが

組み込まれていますが

現代では生存に関わるほどの危険も

あまりないですよね。

 

なんだかんだ生きてこられたって

自分に理解させることは

かなり有効かもしれません。

 

あとはポジティブなことを

噛みしめ、実感すること。

 

tabi-labo.com

 

脳が生まれつきネガティブだとしても

なんだかんだ生きていられますし、

現実的にはネガティブなことよりも

フラットなことだったり

小さな幸せが多いですよね。

 

人間の脳がそもそも

ネガティブだったとしても、

それが克服できる、

それに極端に

悩まされることがなければ

もっとずっと、

毎日を有意義に過ごせますね。